HISTORY & STORY
何もわからずはじめた -業界変革の時期-
1997年6月、自家焙煎コーヒー豆小売とカフェを併設した専門店を藤沢市辻堂に立ち上げました。当時、日本ではスペシャルティコーヒーといった品質にフォーカスしたコーヒーの存在はまだありませんでした。
私は手探りで原料を仕入れ自己流で5kgの小さな釜で焙煎していました。何処にも弟子入りせず、集団に属さない小さな自家焙煎の多くはコーヒーの情報も乏しく閉ざされた中での営業でした。
今日のような品質の善し悪しを計る明確な判断基準は存在しなかったため、ブランド名だけでコーヒーを選ぶことが通例でした。オーナー独自の考え方や手法がまかり通ってしまう時代でもありました。立ち上げた頃は、そんな我流の過渡期に差し掛かった頃だったと思います。
コーヒー豆は外国から入ってきた飲み物で、日本での生産は殆どできない農作物であり、国際相場品です。そのため日本で生産された食物のようなおいしさの判断基準がないまま、私たちはコーヒーを取り入れてきました。異国の雰囲気や印象が強いコーヒーは、風味そのものよりバックストーリーやブランド力、トレンドに左右されてきました。世界は大量消費の時代に入り、大量生産を優先させた結果、コーヒーの品質は著しく低くなり、消費者離れが進みました。
事態を重く見た世界のコーヒー産業は、高品質コーヒーの生産と普及を促進させるプロジェクトを国連の協力のもと始めました。
そして1990頃からこれまでの価格競争にさらされた国際相場市場と一線を画した新しいスペシャルティコーヒー市場が誕生しました。コーヒーの評価をカップ中の液体の素晴らしさだけに集中したもので、産地はブラインドされ、従来の豆の大きさや形にとらわれる事は一切なく、これまでのコーヒーの常識を大きく覆す革命的なものとなりました。
コーヒー新時代の幕開け -ターニングポイント-
日本では1999年から本格的にプロジェクトが始まり、2003年に現在の「日本スペシャルティコーヒー協会」が新しく設立されました。その頃の私は、毎日がたくさんの疑問と課題で一杯でした。 もともとコーヒー好きではなかったため、なお更悩み苦しみました。何故みんなはコーヒーを美味しいと思うんだろう?全く理解できずにいました。どうしてもコーヒーの抽出や焙煎に目を向ける事が出来ず、日々の売上を作るための方向転換をしたこともありました。しかしそれは根本的な解決策にはなりませんでした。
そんな折、SCAJ協会主催のカッピングセミナーに参加した時の事です。カッピングすら知らなかった私は、ここで体験したコーヒーの不思議な風味に魅了されてしまったのです。衝撃を受けたと同時に私は一筋の光を見出しました。品質は嘘をつかない……これを信じて進めば必ず生き残れると確信しました。
今思い返すと当時参加していたメンバーは、今の日本のスペシャルティ業界を牽引する錚々たるメンバーでした。講師としてご指南いただいた方は日本にスペシャルティコーヒーを持ってこられた第一人者でした。
当時の私は場違いと思いながらも周囲に付いていく事に必死でした。
SCAJ主催のセミナーやイベントには可能な限り参加して、1日も早くスペシャルティコーヒーについて理解することに励みました。でも一体こうしたコーヒーはどうしたら手に入れられるのか?自分の事業に繋げられるのかが解らず迷っていました。
そんな中、私のような小さな自家焙煎から始めて苦労されながら、日本のスペシャルティコーヒーシーンを進む方たちと出会いしました。そこで私はカッピングやスペシャルティコーヒーについて徹底的に学ぶ機会を幸運にも得る事が出来ました。スペシャルティコーヒーを日本に持ってこられた恩師をはじめ、本質を追及する先輩や同輩との出会いが、私の大きなターニングポイントでした。
感動の国際品評会に参加
そして時は過ぎ2008年、スペシャルティコーヒー最高峰の国際品評会であるCup of Excellence ニカラグア大会の国際審査員(オブザーバー)として選ばれたのです。神奈川県の小さな自家焙煎店から選ばれるのは初めてのことでした。その時の喜びと感動は今でも忘れられません。それはスペシャルティコーヒーの世界に足を踏み入れてからずっと夢見ていた、私にとってとても大きな目標でした。
品評会は生産国に審査員が訪問して、現地でカッピング審査して、その国の当年で一番おいしいコーヒーを選ぶという国を挙げた大きな大会です。これまで埋もれていた小さな生産者も参加する事ができる画期的で公正なものです。そこで選ばれたコーヒーはネットオークションで競売に掛けられます。世界中のコーヒーバイヤーの熱い視線が集まり、そこで落札されたコーヒー落札額の殆んどが生産者に還元されるという、生産者にとっても夢のような話です。落札したお金で農園に設備を入れたり、車を買ったり、家を建てたりできます。また一躍、有名農園としてコーヒーの取引にも繋がる大きなチャンスもあります。私のような小さなお店のオーナーと現地の小さな生産者との交流もあります。
こうした国際品評会はスペシャルティコーヒーの合言葉である「 From Seed to Cup 〜コーヒーの種から消費者が手に持つカップまで〜」を実践して世の中に広める素晴らしいプログラムです。そんな様々な人達の想いと願いが一杯詰まった大会に参加することはとても大きな刺激でもありますが、同時に重要な責任も感じました。この素晴らしい体験をもっと周囲の人やお客さまに伝えなければいけません。スペシャルティコーヒーは決して一過性の流行ではありません。
高品質のコーヒーが私たちの元に届くまでには、多くの人達の苦労が積み重なったものです。それから少しずつ着実にスペシャルティコーヒーの素晴らしさを伝えることを進めてきました。
スペシャルティコーヒーロースターとして歩む道
着実にというか、凄まじい勢いでスペシャルティコーヒーは世界で進化と広がりを見せています。 10年先を進む欧米では安定期に入ったと思います。消費者が品質の素晴らしさに気づいたことで従来のコーヒーとスペシャルティコーヒーの市場がきちんと住み分けされています。日本でもここ数年で急速な広がりを見せていますが、売る側が本質を理解しないまま、コマーシャル的に利用しているケースも少なくありません。
これは消費者を困惑させ、せっかくのスペシャルティコーヒーのおいしさや素晴らしさを曇らしてしまいます。米国ロサンゼルスやシアトル、ポートランド、ニューヨーク、ボストンなど、スペシャルティコーヒーの普及が顕著な都市を見ると、実に様々なカフェが立ち並んでいます。街中にコンビニはほとんどなく、自動販売機もありません。スペシャルティコーヒーを理解した地元のロースターが中心となってカフェ同士の横の繋がりも大切にしながら、街にあるカフェ全体のレベルを上げています。
消費者もそれを理解してお店を生活の一部として利用しています。カップの素晴らしさをダイレクトに広く伝える力を持っているのは街中のカフェなのです。スペシャルティコーヒーロースターとしてこれから進むべき道は、日ごろお店に足を運んでいただくお客様と地域のカフェと連携を作りながら、スペシャルティコーヒーを普及させる事だと思います。
新たな出発 -それはすべてを壊すことから始まる-
辻堂に根ざして16年目を迎えた今年、ひとつの決断をすることにしました。もっとお客様に魅力を伝えられる方法が必要なのではないだろうか?この内に秘めたコンセプトを外に向けて発信する時期に差し掛かったと感じていました。それにはお店を一度リフレッシュする必要があると常々感じていました。自分がスペシャルティコーヒーと出会って感動した気持ちをお客様に体験してもらうために必要なことは何かをいつも考えていました。
これまでを一新してスタートすることは、とても大きな勇気とエネルギーが必要です。でもそれは同時に、ゆるぎない自信と辻堂に根ざして生涯を貫くことへの思いでもあります。そんな気持ちをわかっていただくために、今回の新たなスタートに向けた準備をしてきました。今までのお店を愛してくれたお客様は、変化に戸惑いを持つかもしれません。でもそれは、新しく生まれ変わったお店で様々なコーヒーを体験してもらえればきっと忘れてしまうと思います。
新しいお店では、コーヒーの新しいひらめきと発見、コーヒーに対する情熱を感じてもらえると思います。店内外は元よりお店の名前も販売方法も全てチェンジします。新店舗名である27は私が少年時代にはじめてもらった野球の背番号です。自分にとっては思い出深い番号です。気が付いたら人生の折り返し地点に来た今だから、原点回帰の思いとお店の新たな出発と合致したのかもしれません。